「ベルサイユのばら」で学ぶ美しい日本語
7.11月
千のちかいがいるか
万のちかいがほしいか
おれのことばはただひとつだ
はてしないときを掌に
ほのぼのと息づいてきたもの
ときに燃え
ときに眼とじ
あ…あ
絶えいるばかりに胸ふるわせ
命かけた
ただひとつのことばを
もういちどいえというのか
愛している…
生まれてきて
…よかった……
見はてぬ夢よ
永遠にこおりつき
セピア色の化石ともなれ
《解説》
オスカルさまに愛を告げられた瞬間、アンドレの頭の中には、26年間ずっと見つめ続けてきたオスカルさまが走馬灯のように思い起こされます。
驚きのあまり言葉を失ったアンドレは、前回のオスカルさまのせりふの前半部分では、ひたすら首を横に振り続け、後半部分の問いかけには、涙をためながらうなずき続けます。
そして、オスカルさまを抱きしめることで、そのたたみかけるような問いかけに終止符を打つのです。
上のせりふは、長い間愛し続けてきたオスカルさまを、ついにその胸に抱きながら、アンドレが語ったものです。
千の誓いも万の誓いも「命かけたただひとつのことば」にはかないません。女は、その「命かけたただひとつのことば」を聞きたくて、千も万も問いかけるのでしょう。
「掌(たなごころ)」とは、「手の平(てのひら)」のことです。「た」は「手」、「な」は助詞の「の」、つまり「手の心」いうのが「掌」の元々の意味です。
その「掌」に、果てしなく長い間、ほんのりと心暖まるように息づいてきたのが、アンドレの「命かけたただひとつのことば」すなわちオスカルさまへの「愛している」という一言でした。
その想いは、ときに熱く燃えあがるような、ときにじっと耐え忍ばねばならぬような、ときに死にそうなくらい胸を震わせる、そんな想いでした。
「セピア色」とは、古い白黒の映画や写真などに見られる黒褐色のことです。
アンドレにとって「見果てぬ夢」とはオスカルさまと結ばれるという夢。
その夢は、それが叶った瞬間、「セピア色の化石」と同じくらい遠く美しい過去のものとなったのです。
(注:このエッセイは、2005年に中学3年生に向けて書かれたものです。)
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