「ベルサイユのばら」で学ぶ美しい日本語
6.10月
わたしの存在など
巨大な歴史の歯車のまえには
無にもひとしい
だれかにすがりたい
ささえられたいと…
そんな心のあまえを
いつもじぶんにゆるしている人間だ
それでも愛しているか!?
愛してくれているか!?
生涯かけてわたしひとりか!?
わたしだけを一生涯愛しぬくとちかうか!?
ちかうか!?
《解説》
上のせりふは、オスカルさまがアンドレに「…愛してい…る…」と愛を告げた直後のものです。
兄弟のように思っていたアンドレからの突然の愛の告白に、そのときこそ驚き戸惑ったオスカルさまでしたが、いつしか彼の存在が自分にとってなくてはならないものだったということに気づいていきます。そして、父親に「むほん人は成敗してやる」と殺されそうになったとき、命をかけて守ってくれたアンドレに、ついに愛を告げるのです。
男として生きることを定められたオスカルさまは、幼い頃から、男として強く生きよう、強く生きねば、と心に誓って生きてきたのだと思います。そんな彼女が自分の無力さを悟ったとき、自分の弱さも何も、全て引きくるめて受けとめてくれる相手を痛切に求めたのではないでしょうか。それがアンドレだったのだと私は思います。
評論家の犬飼智子さんは、『オスカル その愛の形』と題した文章の中で、次のように述べています。
「『ベルサイユのばら』は、フランス革命を舞台にした大ラブロマンスにちがいないのだが、同時にそれは、女性の手による、女性の理想としての愛の賛歌でもある。『生涯かけてわたしひとりか?』とオスカルがアンドレに問いかける一言は、女が一度は夢見る純粋で理想の愛の姿なのだ。」
上のせりふ後半の、たたみかけるような問いかけには、愛する男性への、女性としての究極の願いが込められているのです。
(注:このエッセイは、2005年に中学3年生に向けて書かれたものです。)
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