「ベルサイユのばら」で学ぶ美しい日本語
3. 6月
父上……
感謝いたします……
感謝いたします
このような人生をあたえてくださったことを……
女でありながら
これほどにも広い世界を……
人間として生きる道を……
ぬめぬめとした人間のおろかしさの中で
もがき生きることを……
もう後悔はございません
わたしは……
わたしは……
軍神マルスの子として生きましょう
この身を剣にささげ砲弾にささげ
生涯を武官として……
軍神マルスの子として…!
《解説》
オスカルさまが人間の自由・平等を考えたのは、身分差別の他に、男女差別があったことも、理由の一つなのではないかと私は考えています。
当時のフランスでは、貴族の娘は、十五になるやならずで親が決めた男にとつがされ、子を産み、子を育てることが当たり前とされていました。
このような女性のあり方は、「ベルサイユのばら」が描かれた1972年の日本でもほとんど同じでした。そんな当時の日本で「女性の、人間としての自我の確立と、それによってもたらされる自立した能動的な人生」を描くことこそが、「ベルサイユのばら」の真の執筆理由であったと作者自身が語っています。
上のせりふは、オスカルさまが自分に結婚を勧める父親に語ったものです。
オスカルさまは、跡継ぎとなるために、女に生まれながら男として育てられ、軍隊という男社会の中で二十年以上苦労を重ねながら生きてきました。もしかしたら、当たり前の女性として育っていたほうが、ずっと楽な人生だったかもしれません。それでもなおオスカルさまは、男性と同じように自立した人生を自分に与えてくれた父親に感謝しているのです。
つまり、このせりふには作者がこの作品に込めた「女性の自立」というメッセージが集約されていると言えるでしょう。
このメッセージは、まだ中学生だった私の心のどこか深いところで受けとめられ、熟成され、今もなお人間としての自立と自己実現を目指す原動力となっています。
(注:このエッセイは、2005年に中学3年生に向けて書かれたものです。)
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