「ベルサイユのばら」で学ぶ美しい日本語
2. 5月
わたしは以前
しょくんにこう言ったことがある
心は自由なのだ…と…
どんな人間でも
人間であるかぎり
だれの奴隷にも所有物にもならない
心の自由をもっている…と…
いま…あのことばのあやまちを
わたしは訂正しようと思う
“訂正”というのは適当でないなら
“つけくわえる”といってもいい
自由であるべきは心のみにあらず!
人間はその指先1本
髪の毛1本にいたるまで
すべて神の下(もと)に平等であり
自由であるべきなのだ
《解説》
皆さんは今、社会科の授業で「日本国憲法」を学習していますね。「日本国憲法」は、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を柱とする、日本が世界に誇るべき民主的憲法です。ところが、その三本柱の1つである「基本的人権の尊重」がうたわれることは、1789年に「人権宣言」が採択されるまで、フランスには(その他のほとんどの国にも)ありませんでした。
オスカルさまは、フランス革命前の特権階級である貴族の身分に生まれたのですが、フランス国民の96パーセントを占める平民たちと心を通わせるうちに、だんだんと「人間は全て平等であり自由であるべきだ」と考えるようになります。
上のせりふは、1789年7月13日、パリのテュイルリー宮広場で暴動発生の報を受けたオスカルさまが、部下であるフランス衛兵隊の隊員たちに語った言葉です。 オスカルさまは以前、女隊長である自分に刃向かう隊員たちを「心は自由だから、おまえたちを決して権力でおさえつけまいとしてきたわたしの気持ちがなぜわからんのか!」と一喝します。この言葉によって、隊員たちは初めてオスカルさまに心を開いたのでした。
上のせりふは、その時の言葉をふまえたものです。そして、このせりふの直後、オスカルさまは貴族の身分を捨て、隊員たちと共に、民衆の側に立って戦うのです。
「自由であるべきは心のみにあらず!」(自由であるべきなのは心だけではない!)という文語調の表現が、心に響く名せりふといえるのではないでしょうか。
(注:このエッセイは、2005年に中学3年生に向けて書かれたものです。)
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