「ベルサイユのばら」で学ぶ美しい日本語 

 

11.3月 

 

神の愛に報いる術ももたないほど

小さな存在ではあるけれど…

自己の真実のみにしたがい

一瞬たりとも悔いなく

あたえられた生をいきた

人間として

それ以上のよろこびがあるだろうか

愛し…

憎み…

泣き…

ああ

人間が長いあいだくりかえしてきた

生の営みを

わ…たし…も…

 

《解説》

  

 上のせりふは、オスカルさまが、その死の間際に語った言葉です。

 人は死ぬとき、このような思いを持つものなのでしょうか。人生をまだ途中までしか生きていない私には、自分が死ぬときこのような思いを持てるかどうか、正直わかりません。

自らの存在の小ささをわきまえ、けれど、それを卑下するわけではなく、自らの信念に従って一片の悔いもなく生きたと、死を目前にして言うことが、果たして私にはできるでしょうか。

 全ての命には終わりがあります。終わりがあるからこそ、命は美しいのだと思います。

亡くなったとき、オスカルさまはたったの33歳でした。

男の子として育てられ、武官として王妃に仕え、初恋にやぶれ、民衆の悲惨な生活を知り、アンドレと結ばれ、貴族の身分を捨てて民衆側に寝返り、アンドレの死を嘆き、バスティーユ牢獄を陥とし、銃弾の露と消えたオスカルさま…。

本当にたくさん愛して憎んで泣いていらっしゃいましたよね。人が生きるというのは、まさにそういうことなのでしょうか。

 皆さんにも、さまざまな人生があると思います。でも、その人生は、自分が思っているほどには長くないかもしれません。人は、いつ死ぬかわからないからこそ、今を精一杯生きられるのだと思います。

美しい日本語で語られたオスカルさまやアンドレの想いや思想が、皆さんのこれから先の恋や人生にとって、少しでも役立つことを祈りながら、「『ベルばら』で学ぶ美しい日本語」を終わりたいと思います。

 
          (注:このエッセイは、2006年に中学3年生に向けて書かれたものです。)


   Essay               


























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